eg! 前田真宏監督インタビュー

東京アニメアワード優秀作品賞受賞記念! 「巌窟王前田真宏監督インタビュー

伯爵の人間像ですが、僕は人間性を無くしたと思って描いたことは一度もありません。むしろ人間そのものだと思っています。今回はキリスト教という原作の骨子をはずしてしまったので、「神の裁き」と「赦し」という描き方をアニメ版でとっていない代わりに、“人の感情”がキャラの全ての行動軸となるように描きました。現代人の感覚的に、全てキリスト教的概念でドラマを構築しても、単なるロジックでしかないだろうし、ひとつの宗教に偏って作るというのは、今的でないだろうと考えていたので、原作の伯爵との決定的な違いは、その差にあると思います。一人の男として彼らが憎いのか許せるのか、好きなのか嫌いなのか。そこがないと今の視聴者はドラマとして納得行かないんじゃないかって思ったんです。復讐を最後まで貫徹しないと伯爵自体がぶれてしまう。そんなんでやめるくらいなら最初からやるなよと。だから、伯爵も23話で自らアルベールへ向けて弾を撃つまで、すなわち全ての復讐が達成された瞬間までは伯爵(エドモン) 自身の意志だと思って描いています。それまでの道行きを見ていただければ分かると思うのですが、復讐の駒でしかなかったアルベールが、いつの間にか「これは昔の俺だ」と思いシンパシーを感じた瞬間はきっとあった筈だし、それでも復讐をしなければいけないと踏みとどまって、ひたすら復讐に邁進していく姿は、狂気や絶望を超えた、人間の悲しみそのものだと思います。

自分は今この時代に、この物語を作るにあたって、たとえ憎しみという形をとっていても人が人と関わることでどんな関係が生まれるのか、人は人に対して、どう向き合うのかということこそ注目すべき部分なのでは、と思いました。23幕も、アルベールが伯爵を無垢の心で救うといった単純な話ではなく、もはや言葉も届かず、自分に向き合いもしてくれない人に対して、アルベールはどんな行動をとるのか、また逆に復讐を完遂するために、必ず殺なければならないと執着している相手に対して、伯爵は最後まで意志を貫けるのか、その本気のぶつかり合いを見て欲しかった。そういう意味では、最後までアルベールはアルベールだし、エドモンはエドモンで。二人は、一生平行線かもしれないけど、それでも逃げずに関わり続けていけるのか? 思い続けることができるのか? ということがテーマなのかもしれません。もし、「待て、而して希望せよ」という言葉がそこにあるとしたら、その微かな希望の光として「最初は、愛する気持ちも、憎む気持ちも、人を思う気持ちから生まれた」というフランツの言葉がそれじゃないのかと、自分は思っています。


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